日本ラエリアン・ムーブメント
非営利国際ボランティア
ラエル氏について
宇宙人エロヒムとの遭遇
1973年12月13日、ラエル氏は「ピュイ・ド ゥ・ラソラ」というフランスの火山公園で、空から宇宙船が目の前に降りて来るのを目撃しました。ラエル氏の前に現れた宇宙人は、みずからを「エロヒム」(古代ヘブライ語で「天空から飛来した人々」という意味の語)と名乗り、ラエル氏を宇宙船の中に招き入れました。
エロヒムと名乗る宇宙人は、その宇宙船の中でラエル氏と初めての会見をした後、聖書と筆記用具を持って翌日も同じ時間、同じ場所に来るよう伝えました。
こうして6日間にわたって、ラエル氏はエロヒムから人類に向けたとても重要なメッセージを受け取ったのです。
そして、このメッセージを世界中の人々に広めるという使命を授かりました。
その後1975年10月7日、エロヒムとの2度目の遭遇をしたラエル氏は、彼らの宇宙船で約2万5千年進歩した「不死の惑星」へと宇宙旅行をします。ラエル氏はその惑星で、エロヒムによって科学的に再生された古代の40人の預言者たちと出逢います。
本の出版
1974年秋、エロヒムから地球人類に宛てたメッセージを取りまとめた書籍が初めてフランスで出版されます。日本では1980年「聖書と宇宙人」というタイトルで初出版されました。
現在は、無限堂出版から「地球人は科学的に創造された」というタイトルに改めて出版されており、エロヒムとの会見を通して受け取ったさまざまなメッセージや、彼らの惑星を訪れた際の様子などを記したラエル氏のその著書は、今では全世界で200万部を超えるベストセラーとなっています。
そこには非常に多岐にわたる内容が記されています。この地球上の生命の起源は、彼らエロヒムによる科学的操作である事。核兵器や現存する地球上の諸問題に関する彼らの見解と私たちへの提言。さらには、約2万5千年進歩した彼らの惑星の様子をはじめ、不死の秘密、無限、自由、自己開花、宇宙的兄弟愛、科学、天才政治、人道的人類主義、世界政府などについて、地球人類がこれから歩むべき方向性が指し示されています。他の惑星に住む高度な発展を遂げた人たちからの我々への深遠なメッセージがそこには込められているのです。
国際ラエリアン・ムーブメント設立
1973年12月13日のエロヒムとの初めての遭遇以来、ラエル氏は世界中で講演活動を行い、本を出版してきました。
ラエル氏を支援したいという人たちの輪はますます広がり、現在120カ国、13万人以上のメンバーがエロヒムを迎える大使館建設を実現させるために、世界中でメッセージの普及活動をボランティアで行っています。
もし貴方がこの運動に賛同して下さるのでしたら、ご一緒にエロヒムをお迎えしましょう。ご参加を心よりお待ちしております。
初来日特別講演会
1980年11月29日、ラエル氏は初めて日本を訪れ、その年の12月に4カ所で、そして1983年4月には2カ所で講演会を行いました。いずれの講演会も、ラエル氏の話に強い関心を抱いた大変多くの聴衆たちで溢れかえり、講演は大成功に終わりました。
日本ラエリアン・ムーブメントが設立されたのは、この1980年のラエル氏が初めて日本を訪れた時でした。
また、1980年の来日以降、年に一度のペースでラエル・アカデミーが日本でも行われています。ラエル・アカデミーでは、ラエル氏のユーモアにあふれた楽しい講演をはじめ、ありのままの幸せな自分自身でいながら、世界中の人たちが愛に包まれた平和な世界が訪れることを願い、ラエリアン哲学、最新科学、瞑想などのレクチャーを受けたり、ワークショップで体験したり、みんなと一緒に楽しく学べる機会が提供されています。
核廃絶運動
核兵器は地球に危険をもたらす、とエロヒムは私たちに警告を発しています。人類がヒロシマ・ナガサキの惨劇を二度と繰り返さないためにも、ラエル氏は核兵器の廃絶を強く訴え続けています。
国際ラエリアン・ムーブメントは、地球上のすべての尊い生命を守るため、核兵器廃絶・平和への実現に向け、世界的に運動を展開しています。
日本ラエリアン・ムーブメントは、日本政府に対して、国連総会で採択された「核兵器禁止条約」へ積極的に参加して批准することを求め、全国での署名活動や東京・沖縄でのデモ行進を行いました。
全国の市町村、職場、学校、NGO、NPO、ボランティア組織など、各団体・個人に幅広い呼びかけを行いましたが、おかげさまで大変多数の方々のご協力を賜り、日本ラエリアンムーブメントとして2017年と2018年、内閣総理大臣宛て、および衆参両議院宛てに、皆様からお預かりした署名を提出させて頂きました。
平和のための1分間瞑想の提唱
『自分が考えること、表現すること、感じることは、地球のすべてに影響を与えています。強力な送信機である脳を通して、愛と平和の波動を放つことによって、私たちはこの地球をより平和な惑星にすることができます』~ラエル氏
ラエル氏は、科学的にも素晴らしい効果が実証されている平和のための瞑想を推奨しています。
毎晩、開催している「オンラインサロン平和瞑想」や、ご自身で体験できる「愛と平和の瞑想」について、詳しくは平和のための1分間瞑想をご覧ください。
楽園主義の提唱
今日の社会では、生まれた環境の違いで貧富の差が生じ、同じ地球上でも衣・食・住・教育などが充分に得られない人たちが数多く存在します。それらすべてを解決できる方法が、人類愛あふれる楽園主義の実現です。
近い将来、ナノテクノロジー・ロボット・コンピューター・遺伝工学などの進歩の恩恵を受け、すべての人たちがあらゆるものを無料で手に入れることができるようになります。人類がお金を得るための労働から解放される日が訪れるのです。
世界中の至るところで、多くの人たちが楽園主義の政党を立ち上げ、楽園主義の実現に邁進することで、貨幣制度による壊滅的な経済恐慌の苦しみから人々を救うことができるでしょう。
ラエルレインボーチーム
LGBTQIA+(性的少数派)
ラエル氏は2004年、世界中のLGBT(性的少数派)の人たちを支援するため、アラミスインターナショナルを設立しましたが、新しい世代や他の言語の対応にあたり、2024年ラエルレインボーチームとして名前を変更しました。
レズビアン(L)、ゲイ(G)、バイセクシャル(B)、トランスジェンダー(T)など、すべての人間の性的指向は、生まれつきその人の遺伝子に組み込まれた、とても自然なことです。
ラエルレインボーチームは、同性愛者や両性愛者、全性愛者、性転換者、無性愛者に、そして異性愛者にも、すべての人たちにありのままでお互いの性的指向を尊重することを強く推奨しています。
理解して尊重し合うことで、お互いが豊かで幸せな人生を送れるようになるでしょう。
クリトレイド
ラエル氏は2006年、国際的慈善団体としてクリトレイド(Clitoraid)を設立しました。
アフリカ・中東・アジアの一部の国々では、今でも伝統的儀式・信仰・慣習として女性器の切除が行われています。WHO(世界保健機関)によると、今までに1億3千万人以上の少女たちが肉体的・精神的な被害に遭っています。
クリトレイドは、彼女たちが快楽の喜びに満ちあふれ、健康で幸福に生きられことを願って、女性器を切除された(FGM)被害者たちが、医師による女性器の修復手術を無料で受けられるように支援しています。
プロフィール
本名はクロード・ボリロン。1946年9月30日にフランスのヴィシーで誕生し、幼少期をアンベールで過ごしました。
9歳の頃、偶然にもツール・ド・フランスの自動車レースの通過を見てからは、将来カーレーサーになりたいという夢を持ち続けます。しかし、14歳の時に入れられた寄宿学校で出会った一人の生徒との運命的な出会いが、その後の人生の10年に大きな影響を与えます。
ギターの弾き方を教えてもらい、自分で作った歌を生徒たちの前で歌ったり、夏季休暇中にいくつかのラジオコンクールに出場しては、何度も優勝するなど芸術家としての才能が開花し始めます。
希望に満ち溢れたパリでの音楽活動
15歳の時に自分の人生を生きたい衝動に駆られ、わずかな所持金とギターを片手に寄宿学校を飛び出します。
18歳で運転免許を取得し、カーレーサーになるための貯蓄をするためパリに向かいます。パリでの3年間でストリート・ミュージシャンとして腕を上げたラエル氏はその後、シンガーソングライターとしてラジオやクラブのステージを中心に活動するようになり、運転免許を取得する貯金もこの頃にはたまってきました。
レパートリー数は既に150曲を超え、クロード・セレという名前で1966~1971年の間に5枚のレコードを発表します。
22才の頃、観戦のため頻繁にレース場へ足を運んでいた時、カーレーサーになりたがっている若者たちのレースへの熱狂ぶりに気が付いたラエル氏は、スポーツカー雑誌の記者になって出版業界に身を置くことを決心します。
ジャーナリスト & カーレーサーとして活躍
カーレースの出版界で働くことを決心したラエル氏は、クレルモン・フェランに引っ越し、自ら出版社を設立しました。
自らジャーナリストとして人気コーナーの記事を担当したその出版雑誌は、発行部数を急速に伸ばし、短期間で業界トップクラスにまで成長します。それからまもなくしてカーレースに出場する夢が実現し、当初から数々のレースで優勝を果たして、自身の新たな才能に目覚めます。こうしてラエル氏は、自身の好きなカーレースの分野で喜びを味わいながら3年間を満喫します。
※ ラエル氏は、4度のF1ドライバーズチャンピオンに輝いたアラン・プロスト氏が卒業したことでも知られるシェル・ドライバーズスクールを、1970年に首席で卒業しています。
※ カーレーサーとしてのラエル氏の功績
1994年5月22日 鈴鹿ジャパン/20年ぶりにレース復帰し6位に入賞
1997年5月25日 デイトナ24時間/ポール・ニューマンに次いで3位で完走